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『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました

ボーイスカウト与那原第1団、那覇第4団、浦添第4団は、平成28年12月31日(土)大晦日の夜10時から平成29年1月1日(日)の午前1時にかけて、糸満市摩文仁「沖縄平和祈念堂」において開催された『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』において奉仕活動をしました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました
このまつりは、「沖縄戦終焉の地域『摩文仁』に大勢の老若男女が相集い、戦没者慰霊のたいまつを掲げ、鎮魂の大聖火を焚き、打ち鳴らす平和の鐘の響きに恒久平和を願い、心豊かに新年を迎え、世界が真の平和の時代になるように祈念すること」を趣旨として、昭和53年(1978年)の沖縄平和祈念堂開堂以来、毎年大晦日の夜に行われており、ボーイスカウトはガールイスカウトとともに進行の奉仕を行っています。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました
前年までは、平和の祈りをこめた炎の輪「平和の火(祈りの火)」が高さ45メートルの塔上から祈念堂下段入り口の小聖火台に降ろされました。
しかし、今年は安全性が優先され、平和祈念堂内で採取され、ランタンに移された「平和の火(祈りの火)」が、ボーイスカウトとガールスカウトによって受け取られました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました
その後、与那原1団の安里恒作が「平和宣言」を読み上げた後、乙女椿の演奏する太鼓に乗ってボーイスカウト3名、ガールスカウト2名及び一般代表の子ども2名が捧持し、一般参加者のたいまつ集団を先導しました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました
人々が捧持する「平和の火」は、いくつもの火の列となって堂前庭へと続き、中央の聖火台の周りにいくつかの大きな円陣を作りながら大聖火台への点火を待ちました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました


カウントダウンとともに午前0時の新年を告げる平和の鐘が献鐘されると、3名のボーイスカウト、2名のガールスカウト、2名の空手少年の代表が大聖火台に点火しました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました


と同時に向かいの糸満観光農園で開催されている「第18回平和の光・いとまんピースフルイルミネーション」会場から打ち上げられた花火を観ながら参加者全員で『お正月』の歌を大合唱し、浦添市吹奏楽団による楽しい新年の喜びの金管合奏を聴き「火と鐘のまつり」は終了しました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました
例年、「平和の火」の準備・点火・進行等の奉仕は、ボーイスカウトがメインとなって運営しており、また、たいまつの準備および配布、一般参加者の誘導、平和祈念堂中央階段の雑踏整理もボーイスカウトが担当しました。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました
この奉仕は、BSA時代の203隊(現宜野湾第1団)育成会長で、平和祈念像を製作された故山田真山画伯のご長男故山田昇作氏(旧203隊隊長)が同祈念館館長を務めておられる時に始まったものです。
また、太鼓演奏を披露した「乙女椿」はBSA時代の旧那覇消防本部ボーイスカウト262隊(現那覇第4団)育成会長の故仲本興徳氏が、乙女椿後援会長を務めていた縁で演奏を続けています。
『第39回摩文仁・火と鐘のまつり』で奉仕をしました

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Posted by BS沖縄県連盟 at 2017年01月03日   22:16
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